ヤング グッドマン ブラウン 

YOUNG GOODMAN BROWN

ナサニエル・ホーソーン  NATHANIEL HAWTHORNE [18041864]

ウォルトンみちよ訳

 

 

  ブラウン青年が日暮れ時セイラムヴィレッジの通りに家から出てきたが、玄関のドアを出た所で妻に出かける前のキスをするために振り返った。彼女にぴったりの名前を持った妻Faith《フェイス》[注 誠実、信頼を意味する]は、そのかわいい顔を通りに出しブラウンに話しかけている間、帽子に付いているピンクのリボンを風になびかせていた。

 「あなた、お願いだから今夜はちゃんと家で寝て、旅に出るのは夜が明けてからにして。女性が一人で夜を過ごすとね、日頃の心配事にくよくよしたり嫌な夢を見たりでよく眠れないのよ。だから、今夜だけは家を空けたりしないで、ねえお願い」彼女は優しく悲しげに彼の耳元で囁いた。「僕の大切なフェイス、今夜はどうしても行かなきゃいけないんだ。君は大げさに旅に出るなんて言うけれど、すぐ其処まで行って夜明けまでにどうしても遣っておかなきゃいけない用事を済ませて来るだけじゃないか、それともまだ新婚三ヶ月だって言うのに僕のかわいい新妻はもう僕を疑ったりしてるのかい?」「そう、わかったわ。じゃ、気をつけてね、無事にその用事が済むことを祈ってるから」ピンクのリボンをなびかせながら彼女はそう言った。

 「アーメン!今夜は早いうちに寝ておしまい、そうすればくよくよ考えたりせずぐっすり眠れるさ」とブラウンは叫んだ。

 こうして彼は妻を残し家を離れ先を急いだ。そして集会所の角を曲がろうとした時、彼が振り返ると、妻がまだそのピンクのリボンとは裏腹、に沈んだ様子で彼を見送っていた。

 「かわいそうに」彼は胸が痛んだ。「まったく、こんな事で彼女を一晩家に置き去りにするなんて僕はなんて悪い夫なんだ。彼女、まるで今夜行なわれる事を夢で見たかのように不安気に夢の事を言ってたな。いや!そんな筈は無い、もし彼女が今夜何が行なわれるか知ってたら気絶してるに決まってるさ。彼女は穢れの無いこの世の天使なんだ。今夜の件が済みさえしたら、彼女を一人になんてさせるもんか。彼女と一緒にさえいればそこは天国さ」

 こんな風に楽観的な将来への思いと共に、ブラウンはその邪悪な目的へと急ぐのはもっともな事だと自分に言い聞かせた。彼は森の鬱蒼とした木々に覆われた暗く淋しい道を歩いていた。やっと人一人が通れるくらいの獣道を草木を掻き分けながら這う様に進むと、彼が通るや否やその道は森の草木に塞がれてしまうのであった。そこはこの世の物とは思えないくらい淋しく、無数の木々や頭を覆う枝葉の影に何かが潜んでいるのでは無いかと思わせる空気が満ちていたので、ブラウンは自分の頼り無げな足音と共に無数の目に見えない何者かの間を通り過ぎているような気がした。

 「悪魔のようなインディアンが木陰に潜んで居そうだな」とブラウンは独り言を言った。そして恐々今来た道を振り返り、「インディアンどころか、悪魔自身が直ぐそばに居るにみたいだ」ともう一度独り言を言った。振り返りながらカーブを過ぎ再び前を向くと、古い木の根元に座っている威厳漂うきちっとした身なりの男の姿が彼の目に入った。その男はブラウンが近づくと立ち上がり、彼と並んで歩き出した。

 「遅いじゃないか!グッドマン ブラウン」その男は言った。「オールドサウスの時計は、わしがボストンから来た時に鳴っていたぞ!もう、十五分も前にな!」

 「フェイスに引き止められてたんだ」ブラウンは全く予期していなかったわけでも無かったのだが、突然のその男の出現に恐怖に声を震わせながらそう答えた。

 今やそこは森の中の深い暗闇で、しかも二人は一番暗い場所を歩いているのであった。その闇の中、何とか見分けられる限りでは、その第二の旅人は歳の頃は五十前後でブラウンと同じくらいの生活レベルの様であり、なんとなくブラウンと似ているがそれは多分容姿が似ていると言うよりは、彼の表情のせいだと思われた。さらに言えば、彼等は父と息子の様であった。年上の男は身なりも立ち振る舞いも年下の男と同じくらい気取の無い物であったが、彼はなんとなく世の中を知り尽くしている様な、例えばちょっとした都合でウイリアム王の宮廷や大臣達との晩餐会に列席する事になってもけっしてまごついたりしないだろうと思わせる雰囲気を身に着けていた。彼の唯一の持ち物であるその杖は、彼のその身なりとは反対に、異様に注意を引き付けるのであった。それは黒い大蛇の様な彫り物で、もちろん薄暗い光による目の錯覚によるものだが、まるで生きている蛇が身をくねらせのたうっているように見えるほど見事な細工であった。

 「もたもたするな、グッドマン ブラウン」彼は旅仲間に叫んだ。「こりゃ、旅が始まったところだと言うのに、ぐずぐずしすぎるな。そんなに疲れやすいのならこの杖を使うといい」

 「友よ」青年がその鈍い足取りを完全に止めて言った。「汝に、ここで会うと言う約束は果たしました。今からの私の目的は来た道を引き返す事で、汝が知っている事にこれ以上関わりあうのは良心の呵責を感じるんです」「本当にそうかな?」蛇の男は少し離れたところからにっこりしながら答えた。「さあ、我々がどうして行かなきゃいけないのか、はっきり解る所までとにかく歩こうじゃないか。それが解れば君は後戻りなんてもう考えないさ。それにまだいくらも来てないしな」

 「いくらも来てないだって!もう十分だ、遠すぎるんだ!」とグッドマンは声を荒げたが無意識に又歩き始めていた。「僕の父は決してこんな事で森の中に入り込んだりはしなかった。祖父だってしなかったさ。僕の家系は誠実で敬虔なクリスチャンの血筋なんだ。それなのに、僕はブラウン家で最初の人間に、こんな道をこんな…」「こんな奴とって言いたいんだろう」じっと彼を見ていた年上の男が彼に代わって後を続けた。「よく言った、グッドマン ブラウン!私はな他のピューリタン達同様、おまえの家族の事はよく知ってるんだ。口から出まかせじゃないぞ。私はなセイラムの通りで警察官だったおまえのじいさんが、クェーカーの女を激しく鞭で打ちつけるのを助けてやたんだ。それに、フィリップ王の戦いで、おまえの父親には親切にもこの私が火のついた松明をくれてやったらな、それで彼はインディアンの村を焼き払ったのさ。おまえの祖父も父親も私の良き友だよ。二人とも愉快にこの道を往きそして、真夜中過ぎに陽気に戻って来たものさ。だから彼等の為にもな、私は喜んでおまえと友達になるつもりなんだがね」

 「もし、それが本当なら、」グッドマン ブラウンは言い返した。「変じゃないか。なぜ彼等は僕にその事について何も言わなかったんだ!それに、このニューイングランドでそんな噂すら聞いた事が無い!僕の家族は代々敬虔で善良な働き者なんだ、そんな邪悪な事には一切係わる筈が無い」

 「邪悪であろうがなかろうが」そのねじれた杖を持った男が続けた。「私はなニューイングランドのこの辺じゃ結構顔が広いんだ。教会の助祭達とは聖餐式のワインで一杯やった事があるし、いろんな町のお偉方は私を議長に選び、最高裁判所やその高官のほとんどは私に有利になるように計らったものさ。それにこの私は、総督とも…おっと、これは国家機密だ」

 「そんな事ってあり得るのか!」そうブラウンは叫びながら、その男の落ち着き払った態度に驚きの目を見張った。「まあいいさ、どっちみち議会や総督なんて僕には関係無いさ。彼等には彼等の遣り方があるし、僕のような純真な農夫とは違うんだ。これ以上こんな事に係わったら、僕はどうやってセイラムヴィレッジで牧師さんや誠実な長老と目を合わせたらいいんだ?全く、日曜や祝日の教会のお祈りや説教の日の牧師さんの声に、僕は震え上がってしまうさ」

 それまでその年配の男は真面目な顔つきでブラウンの言う事を聞いていたが、あまりの可笑しさに堪え切れず、思いっきり身をよじらせながら吹き出した。そのせいで、例の杖までがまるで本物の蛇がその可笑しさに身をくねらせているように見えた。

 「ハッ、ハッ、ハッ!…」男はしばらく大笑いした後やっと気を静め「さあ、続けたまえ、グッドマン ブラウン、続けなさい。しかし後生だからこの私を笑い死にさせないでくれよ!」と言った。ブラウンはむっとしながら「とりあえず、その事はここまでにしておきますけど」と答えた。

 「ところで、こんな事が僕の妻フェイスに知れたら、きっと彼女の愛らしいハートは酷く傷ついてしまいます。そんなことになるくらいなら、僕が傷ついた方がよほどましだ」

 「そんな事になるのならおまえの言う通りにするがいいさ。」男は続けた。「私だって、私達の前でよろよろと足を引きずっているような老婆20人に換えても、フェイスには傷ついてもらいたく無いからな」

 男は話しながら杖で前方の女性を指した。ブラウンは其処にとても信心深い模範的な女性の姿を見た。その女性は彼が今よりもっと若かった時、彼に問題集を使ってキリスト教について教えてくれた人であり、そして今でも牧師さんやグーキン助祭と共に彼の道徳上のそして精神的な助言者であった。

 「いや、これは驚いた。グッディ クロイズさんが日暮れにこんなに寂しい森の中に居るなんて」ブラウンは言った。「でも僕は僕達があの敬虔なキリスト教の彼女を追い越すまでは、わき道を行きたいんですけど。だってあなたには見ず知らずの他人だけど、彼女はきっと僕に誰とどこに行くのか聞くに違いないですからね」

 「じゃ、そうすればいい」連れの年配の男は言った。「おまえはその茂みの中を行き、私はこのままこの道をゆくさ」

 そういう経緯で若者は脇道にそれたが、若者は年配の連れを注意深く見ていた。男はそのままその道を行き、例の杖がその年老いた女性に届く位の所まで静かに近づいた。そうしている間にも彼女は、その高齢にしては信じられないような速さでまるで祈祷でもしているようにぶつぶつと独り言を言いながら歩いていた。年配の男はその杖を伸ばし、蛇の尻尾の様に見える部分で彼女の衰えたしわだらけの首の触れた。

 「ヒャ!悪魔だ!」と敬虔な老女が大声で叫んだ。

 「やあ、グッディ クロイズ、昔馴染みを覚えているかい?」男は彼女と向かい合い、そのよじれた杖に寄りかかりながら彼女をじっと見つめた。

 「あれまぁ!あんただったのかい?」その敬虔な老女は叫んだ。「それにしても、全くあんたって私の昔馴染みのグッドマン ブラウンにそっくりさ!今のまぬけなブラウン青年の爺さんだよ。ところで、信じられるかい?私の箒が無くなっちまったんだ。あのまだ首吊りになってない魔女のグッディ コリーが盗んだんじゃないかって思ってんだけどね、私が野生セロリとキジムシロとトリカブトの汁を塗ってる隙にさ」

 「上等の小麦と生まれたての赤ん坊の脂肪も忘れずに混ぜなよ」ブラウンの祖父に似たその男が言った。

 「おや!あんたまだあのレシピを覚えていたのかい!」と老女は大声で甲高く笑いながら言った。「そんなこんなで、集会に出かけなきゃいけないのに乗って行く馬も持ってなくてさ、歩いて行くことにしたんだよ。なんでもね、今夜は若くていい男が仲間入りするらしいよ。ここであったが百年目、ちょいとあんたの腕を貸してくれないかい?そしたらさ、ひょいっと一っ飛びで集会所に着けるじゃないか」

 「そいつはちょっと難しいな。」老女の昔馴染みの男は言った。「クロイズ、おまえさんにこの腕を貸し惜しみする訳じゃ無いけどね。まっ、お前さんさえ良けりゃここに杖は有るがな」

 そう言うと男はその杖を老女の足元に投げた。すると杖はあたかもかつて魔法の杖の持ち主がエジプトの魔術師に貸し与えた杖の様に蛇に生まれ変わった。ところが、グッドマン ブラウンはこの事は全く気がつかなかった。彼は呆然と頭上を眺めていたのである。そして目を地上に戻すと、其処にはクロイズ女史も蛇の杖も無く、只年配のあの男が何事も無かったかのように落ち着き払ってブラウンを待っていた。

 「あの年老いた女性は、僕にキリスト教についての大切な公教要理を問答式で教えてくれた人なんだ」とブラウンはつぶやいた。その言葉の裏には語り尽くせないほどの多くの彼の思いがあった。

 年配の男が熱心に、そして我慢強く先を急ぐようブラウンを説得しながら二人は歩き続けた。彼の説得はあたかもそれがブラウン自信の意志であるかの様に思わせる程巧みであった。二人が歩いている間に年配の男が、杖にする為に一本の楓の枝を引き抜きその枝から夜露に濡れている小枝や葉をもぎ取り始めた。するとどうだろう、彼の指がその小枝や葉に触れたとたんまるで一週間ずっと日光にさらされていたかのように乾き枯れ落ちてしまった。このように二人はしばらくの間その道程を順調に進んだが、突然ブラウンが切り株に座り込みそれ以上先に行くのを拒んだ。

 「友よ」ブラウンは頑固そうに言った。「僕は決心したんだ。これ以上一歩もこんな邪悪なことに僕は近づかない。たとえ僕が天国に行くに違いないと信じていた、あのあさましい年老いた彼女が、悪魔の許へ身を委ねようが、そんな事構うもんか。僕が愛しいフェイスから離れ、あの老女の後を行かねばならない理由なんてどこにもな無いんだ」

 「おまえはそのうちに考え直すさ。」男は落ち着き払ってそう言った。「ここで暫く休んで行くといい。おまえがもう一度先に進もうと思い直した時、この杖がおまえを助けてくれるだろう」

 それ以上何も言わずに男は、ブラウンに楓の杖を投げてよこした。そして男はまるでその深い闇の中に消えてしまったかのように、其処から居なくなってしまった。青年は道端に暫く座り込み、朝の散歩で牧師さんに一点のやましさも無く挨拶を交わし、又グーキン助祭の目を何のためらいも無く見る事が出来る事を誇らしげに考え、それにこんな邪悪な事に費やされる今宵を、フェイスの腕の中で甘く安らかな眠りにつけたことを思った。こんなに甘美で称賛に値するようなあっぱれな瞑想の真っ最中にブラウンは道を行く馬の重い足音を聞いた。その時彼は今は幸いにも思い直したにもかかわらず、こんな所まで来てしまった事にうしろめたさを感じていたので、誰にも見つからないように、森の草むらの中に身を隠した方が懸命だと思った。

 馬の蹄の音とその騎手達の声が近づいて来た。その威厳に満ちた声は二人の年配者の物の様であり、物静かに会話を交わしていた。それらの混ざり合った音が、ブラウンの隠れている直ぐそばを通り過ぎて行く様に思えたが、その特殊な場所の深い闇の為に、声の持ち主はおろか彼等が乗る馬さえも見えなかった。彼等は路傍の枝を払いのけたにもかかわらず、本来ならその時、月の輝く夜空から差し込む弱い光が彼らを照らし出す筈だが、ほんの一瞬たりとも一筋の光さえ彼等の姿を浮かび上がらせることは無かった。ブラウンは枝を掻き分けたり身を低くしたりつま先立ってみたりして、その影すら見えない者の方へできる限り頭を伸ばしてみたが、その姿の無い声はブラウンをさらに苛立たせただけだった。なぜならそれはまさしくあの牧師とグーキン助祭の声であり、彼等は聖職授任式か教会の議会に向かっているがごとく、静かに馬の背に揺られているようであった。彼等がブラウンからまだそう遠く離れていない所で、彼等のうちの一人が枝を引き抜こうと馬の歩みを止めた。

 「牧師様」グーキン助祭らしき声が言った。「私は聖職授任式の晩餐よりむしろ、今夜行なわれる集会の方に出席したいですね。聞くところによれば今夜、ファルマウスやその向こうから、それにコネチカットやロードアイランドからも出席者があるらしいですよ。そのうえ、インディアンの祈祷師達までもね。なんでもその祈祷師達は、私達の一番上手な魔術師と同じくらいの腕前だそうです。もっとも彼等は彼等の遣り方でやるんですがね。それだけじゃないんですよ、今宵は魅力的な若い女性が仲間入りするらしいですよ」

 「その通りじゃ、グーキン助祭」牧師が老練なもったいぶった調子で答えた。「さあ、急ごうではないか、さもないと遅れてしまうぞ。そなたにも分かっている様に、わしが其処に行くまでは何も始まらないのじゃ」

 その奇妙にも誰の姿も見えない空ろな場所から再び蹄は音を立て始め、その話し声は集会を開くような教会はおろか、祈りを挙げる信者など誰一人居ない森の中へと消えて行った。それではその二人の聖職者は、このように深い未開の原野の中どこへ向け旅をしているのだろうか?青年グッドマン ブラウンはあまりにも重過ぎる心の負担と疲労に眩暈がし、地面に崩れ落ちようとする我が身を支える為に傍らの木に縋りついた。彼は天は本当にそこにあるのだろうかと思い頭上を見上げると、やはり其処には青く弧を描いた星のきらめく夜空が広がっていた。

 「天が其処にあり、妻、フェイスが居る限り僕は悪魔に立ち向かってやる!」ブラウンはそう叫んだ。

  彼が天空の深い夜空を見つめ祈りを捧げようと両手を挙げている時、風が無いにもかかわらず、一塊の雲が上空を横切り彼の真上の夜空の星だけを覆ったかと思うと、その黒い一塊は北へと素早く流れ広がっていった。すると大気の上空で、あたかもその雲から湧き出したかのように曖昧な雑多な声が聞こえてきた。彼は彼が住む町の人々のアクセントを其処に聞いたような気がした。それは今まで彼が会った事のある男達や女達、敬虔な信者や不信心な者、宗教上の親交を深める会の出席者達、酒場で飲んだくれている者達の声だった。次の瞬間その声達は只の音でしかなかった。気のせいだったのか、あるいは風も無しに森が囁いたのかと彼は思った。しかしその時彼は、耳慣れた音色の強烈なうねりに包まれた。それは毎日セイラムヴィレッジの輝く太陽の下で聞く声であり、今まで決して今夜の様な雲から聞こえた事はなかった。その中に一人の若い女性の声があった。それは悲観にくれながら、しかし真に悲しいのかどうか解らないまま、ある願いの嘆願にくれているようであった。おそらくその願いが叶うと彼女は激しく悲しむ事になるのだが。そして目に見えぬ全ての群集が、聖者も罪人達も、彼女を前方に推し進めたように思えた。

 「フェイス!」ブラウンは苦悩と絶望に満ちた声で叫んだ。そしてあたかも途方に暮れた哀れな者が、原野の森の中を探し求めているかの様に、森のこだまが「フェイス!フェイス!」と彼をあざ笑った。不幸な夫がその返答を求めて息をこらした時、悲痛と憤怒と恐怖の叫びが夜の暗闇を裂いた。その絶叫はあっと言う間にブツブツと不満を言う騒々しい声に呑み込まれ、そして遠くの方で笑い声となり消えていった。それと同時に黒い雲は流れ去り、ブラウンの頭上には澄んだ静かな夜空が広がった。すると何かヒラヒラとするものが空から軽やかに落ちてきて、木の枝に引っかかった。青年は、それを枝から掴み取った手の中にピンクのリボンを見た。

 「僕のフェイスが行ってしまった!」一瞬呆然とした後彼は叫んだ。「この世には、もう善なんて有るものか、罪悪なんて名ばかりだ。さあ、悪魔よ来たれ、この世は、汝に与えられた!」絶望に気が狂わんばかりにブラウンは大声で何度も笑った。そして、彼は杖を握り再び邪悪の旅に向け足を踏み出したのだった。彼が進むその速さは走っていると言うよりも、むしろ飛んでいるかの様であった。彼が進む先はますます荒れ果て陰鬱でその道はどんどん細り、そしてついにそれは無くなってしまい、荒れ果てた原野の暗闇の中に彼は残された。それでも彼は、地獄へと落ちてゆく人間を邪悪へといざなう抗いがたい力によって、その先を急いだ。木が裂け獰猛な野獣が吼えインディアンが叫び声を上げ、森全体は恐ろしい音で充満していた。そうしている間も、あたかも全ての自然が彼をあざけり笑うかのように時折風は教会の鐘のように遠くで鳴り響いたり、猛獣のうなり声のような音を立てたりした。しかしそんな中でも、もっとも恐ろしいものはブラウン彼自身の形相であり、それと比べると他の恐怖は取るに足らないものだった。

 「ハッ、ハッ、ハッ!」彼は風が彼を笑い飛ばした時、大声で吼えるように笑い返した。「どちらの笑い声の方が大きいか、聞いてみようじゃないか!覚えておくがいい、おまえのそんな魔法じゃこの俺を怖がらせたり出来ないぞ。魔女よ来い。魔法使いよ来い。インディアンの祈祷師よ来い。悪魔よ、お前も来てみろ、グッドマン ブラウンは此処にいるぞ!われが悪魔を恐れるがごとく、悪魔よ、お前もわれを恐れよ!」

 事実、悪の巣窟のようなこの森の中でさえ、ブラウンの形相の恐ろしさを凌ぐものは何も無かった。黒松の木々の間を、ブラウンは狂暴な振る舞いと共にその杖を振り回しながら飛び、忌まわしい冒涜の覇気をみなぎらせ、彼の回りの悪魔のような森のこだまの笑い声にわめき散らした。

 悪魔に取り付かれたように狂気に駆られた彼は、木々の間で揺らめく炎を見るまで、その森の中を物凄い勢いで進んだ。その炎は森の中の開拓地の切り倒された木や枝が燃やされているかのようで、真夜中の空は身の毛もよだつような炎の色に染められていた。ブラウンを前へと駆り立てていた狂気は収まり、彼はそこで立ち止まった。すると、彼の耳に遠くの方で重々しい大勢の声で歌われている賛美歌の様な音のうねりが届いた。彼はそれに聞き覚えがあった。それは、町の集会所で聖歌隊がよく歌っている曲だった。賛美歌の節は重々しく消え去りコーラスだけが響いていたが、その声は人間の物ではなかった。そのコーラスは野蛮で未開の野生が奏でる恐ろしいハーモニーによるものだった。ブラウンはあらん限りの声で叫んだが、彼の声はその荒野の叫びに呑み込まれ彼自信の耳にさえ届かなかった。

 静寂が訪れた合間にブラウンは、こっそりとその炎が彼のすぐ目の前で揺らめくところまで近づいた。暗い森が壁のように四方に立ちはだかる空き地の隅で四本の松の木が、あたかも夜会の時のローソクの様に先だけが燃え、その幹は何事もないようにせり上がった岩の四方を囲むよう立っていた。その岩は何処かしら粗雑であるが、その形からすると祭壇あるいは教壇の役割として設えてあるようだった。その岩に覆いかぶさる枝葉全てに火が放たれ、夜空に高く燃え盛りその辺一帯を赤々と照らし出していた。それぞれの垂れ下がった小枝や数珠繋ぎなった葉にも火がつけられており、その赤い炎が大きくなったり小さくなったりするにつれ、集会に集まった者達はその姿を浮かび上がらせたり闇に沈めたりしていた。そして、その群集はまるで闇の中から湧き出したかの様に、一瞬にして木々だけが寂しく覆っていた森を埋め尽くした。

 「容易ならぬ雰囲気の、黒服の人達だな」 とブラウンは言った。

 全くその通りであった。あちこちの暗がりと輝きの中で、その群衆の中には、明日には州の議会に現れるような人達の顔が揺れていた。そして又日曜日の教会の祈りの度に、その土地のもっとも聖なる祭壇から献身的に天を見つめ、説教を聞きに集まった信者達を恵み深く見つめる人達の顔もあった。其処には総督婦人の顔がはっきり見て取れた。いずれにせよ、総督婦人と近づきのある貴婦人達や名誉ある夫をもつ妻や未亡人達、大勢の庶民達、非の打ち所の無い評価を集めている未婚の老女達、それに母親に見つかりはしないかとびくびくしながら参加しているうら若き娘達の姿があった。薄暗い原野での突然の強烈な炎のきらめきがブラウンを眩惑させたのか、彼はセイラムヴィレッジで最も敬虔で知れ渡っている二十人の教会の信者達を見たような気がした。老グーキン助祭はすでに到着しており、ブラウンが崇める人格高潔な聖人である牧師の傍らに控えていた。しかし、これらの誉れ高き評判の人達、信心深い人達、教会の長老達、貞節な女性達それに穢れを知らない乙女達に混じって不遜な参加者も混じっていた。つまり、彼等は自堕落な生活を送る男達や評判の悪い女達、あらゆる卑劣で淫らな堕落行為に耽る恥知らずな者達、さらに恐ろしい犯罪の容疑者達であった。善良なる人々が邪悪な人達を避けもせず、また邪悪な人々は善良な人々に恥じ入りもしないで、一つの群集に居るのを見るのは非常に奇妙であった。インディアンの祈祷師も、青白い顔の彼らの敵達すなわち白人達に混じって参加していた。その祈祷師達はどんなイギリスの魔術も敵わないような恐ろしい妖術で、自分達の野生の森をしばしば怯えさせているのであった。

 「しかし、フェイスは何処にいるのだろう?」とブラウンは思った。彼は心の中に涌いた希望に身震いをした。

 別の賛美歌の一説が聞こえだした。それは敬虔な愛のようにゆっくりとした悲しげな旋律であったが、その歌詞は人間の本質は罪悪を心に描く事が出来るという意味の言葉で綴られ、そしてそれ以上の意味を陰鬱に暗示していた。そのような悪魔の知恵は、単なる普通の人間にとって底知れなく計りがたい物であり、理解を超えていた。賛美歌は次々と歌われ、荒野のコーラスは巨大なオルガンの最も重厚な音色のように高まったきた。そして遂に、あたかも風が唸り嵐が押し寄せ野獣が吼えているかのごとく、そのおぞましい賛美歌の最後の響きが押し寄せた。それは、全ての悪魔への敬意と忠誠を誓いながら、不協和な荒野の全ての音が穢れ多き人々の声と混ざり調和しているかのようであった。四本の燃えていた松の木が一層高く炎を燃え上がらせると、その不敬虔な参加者の上空の煙の輪の上にぼんやりとおぞましい者の形と容貌が現れた。その瞬間、岩の上で燃えていた火がその土台の上に赤々と燃えるアーチを作ると、其処にそれははっきりと姿をあらわした。恐れ多くもその姿は身なりといい立ち振る舞いといい、ニューイングランド教会の威厳ある聖職者と瓜二つであった。

 「改宗者を前へ連れて来い!」と叫んだ声は荒野にこだまし森じゅうに響き渡った。

 その声でブラウンは、木の陰から前へ進み出てその集まりに近づいていった。今や彼も自分の心の中の邪悪さを感じていたので、群集達に忌まわしい兄弟愛さえ感じるのであった。彼は彼の死んだ父親の姿が、煙の輪から見下ろしながら前へ出るようにと手招きしているのを確信した。一方では、それは彼の母親だったのだろうか、絶望に顔を曇らせた一人の女性が彼に前に出てこないようにと手で警告を送っていた。しかし、牧師と老グーキン助祭が両脇から彼の腕を摑み燃えている岩へと促した時、彼にはもはや後戻りやその二人に抵抗するだけの力は残っていなかったし、それを考えることすら出来なかった。あちらの方からは、ほっそりとしたヴェールで覆われた女性が公教要理の敬虔な師であったクロイズ女史と、悪魔から地獄の女王にしてやると言う約束を受け取った身の毛もよだつような魔女マーサ キャリアにの間に挟まれ現れた。二人の改宗者は、祭壇の上に設けられた炎の天蓋の下に立たされた。

 「わが子達よ、お前の仲間達の聖餐式へ、よく来てくれた」その黒い姿が言った。「お前達は、お前達人間の本性と宿命を見つけ出したのじゃ。わが子達よ、お前の後ろを見るがよい」

 彼等は振り返ると炎が一面を覆ったかのようにパッと明るくなり、全ての参加者の顔に歓迎の笑顔が邪悪そうに輝いているのが見えた。

 「此処には、汝達が幼い頃から尊敬してきた全ての者達がいる。汝達は彼等を自分自身より高徳だと思い込み、そして、彼等の実直な生活や天へ向かっての信心深い切望と、自分自身の罪とを比べて、己の罪に縮み上がっておったのじゃ。じゃが、その者達全てが今此処に、この私の礼拝式に参列しておる。今宵はお前達がその者達の秘密の行為を知る事を許してやろう。さあ知るがよい、どんなふうに教会の白髪交じりの顎鬚のある長老達が彼らの家の若いメイド達に淫らな言葉を囁いたのか、どれだけの婦人が未亡人になりたさに就寝時に夫に薬を飲ませ、その胸の中で夫に息を引き取らせたか、年端も行かぬ若者が早く親の遺産を受け継ぐ事をどれだけ望んだか、そしてどれだけの可憐なる乙女達が――おお、可愛い奴らよ、恥かしがらんでもよい――ひっそりと産み落とした赤ん坊の葬式の為に裏庭に穴を掘り、その葬式にわし一人だけを立ち会わさせたか。お前達は罪に対する己の人間身あふれた心の共感により、罪が犯される場所をそれが教会であれ、寝台であれ、路上であれ、野原や森の中であれ嗅ぎ出してしまう。そして、お前達はこの世が罪で穢れ血で染められるのを見るのを大喜びをする。さらに、全ての人間の中に邪悪の深い神秘と全ての悪しき行為の源泉を浸透させるのだ。人間の力など、いやそれどころかこの私の最大限の力さえ及びもしないような、もっと邪悪な衝動を尽きる事無く与え続けよ! さあ、今、我が子達よ、お互いの姿を見るがよい!」

 その二人はお互いを見詰め合った。哀れな男は彼の妻フェイスを、そしてその妻は彼女の夫をそこに見、その不浄な祭壇の前で震えたのだった。

 「目の前に居る我が子達よ。」その黒い姿は深く厳粛な口調で言った。それは、まるでかつての彼の天使の本性がこの惨めな我々人間たちを追悼しているかのように悲しげであった。「お互いの心を拠り所とし、汝等は善行は夢物語ではないと言う希望を持っていた。今は、汝等はもうだまされない。邪悪は人間の本性ぞ!邪悪こそがお前達の唯一の幸せなのじゃ。もう一度言う、我が子達よ、お前達の仲間の聖餐式によく来てくれた!」

 「よくぞ来てくれた!」悪魔の崇拝者たちが絶望と勝利の叫びに混じり繰り返した。そして、そこに居る二人だけがこの暗闇の世界の中で邪悪の一歩手前で躊躇しているように見えた。その岩には自然に窪んだところがあり水盤の様になっていた。そこには、燃え盛る炎で赤く染まった水が入っているのだろうか、それとも血が入っているのだろうか、あるいは液体の炎なんだろうか?その中に悪魔の姿をした者が手を浸し、二人がその悪の奥義への同盟者となり、他人の行為と思考の中の秘められた邪悪さを自分自身の邪悪さ以上に意識するようになる為に、二人の額に洗礼の印をつける用意をしていた。夫は彼の青ざめた妻に、そして妻フェイスは夫に視線を投げた。恥知らずにも堕落し悪魔達の同盟者としての洗礼を受ければ、彼等が見てしまったり暴いたりした邪悪さに対してと同じようにぞっとした目で、恐怖に震えながらお互いを見詰め合うであろう!

 「フェイス!フェイス!」夫は叫んだ。「天を見上げろ、そしてこの邪悪に対抗するんだ!」

 フェイスが彼の言う通りにしたかどうか彼にはわからなかった。なぜなら、そう叫ぶが早いか、彼は森の中を重々しく吹き抜けた風の唸り声を聞きながら、静かな夜の真っ只中に居たのである。彼は祭壇であった筈のその岩につまずいた。それは冷たく湿り、燃えていた筈の垂れ下がった枝達は、彼の頬に冷たい夜露を降らせた。

 次の朝、ブラウンはゆっくりとセイラムヴィレッジの通りに現れた。彼はまるでうろたえているように見えた。良き老牧師は、朝食前にお腹を空かせる為と彼の説教を熟考する為に、墓地沿いに散歩をしていた。牧師はブラウンとすれ違う時、神の恵みを祈ってくれた。ブラウンはまるで呪いを避けるかのように、尊ぶべき聖者にひるんでしまった。老グーキン助祭は内輪の礼拝中で、彼の祈りの聖なる言葉は窓から聞こえてきた。「あの魔法使いは何の神に祈りを上げているのだろう?」とブラウンはつぶやいた。優秀な老クリスチャンのクロイズ女史は、彼女の家の格子のそばで早朝の朝陽を浴びながら立っていた。彼女に朝の1パイントのミルクを持ってきた小さな少女に教理を問答式で教えていた。ブラウンは急いでその少女を悪魔からひったくるように彼女から離した。集会場の角を曲がったところで、彼はピンクのリボンを付けた帽子を被ったフェイスを見つけた。彼女は不安げに前方を見詰め、その瞬間彼を見つけた喜びではじけんばかりであった。彼女は通りを小走りし、村中の人達の前で彼にキスをせんばかりであった。しかし、ブラウンは険しくそして悲しげに彼女を見つめると一言も言わず過ぎ去ってしまった。

 グッドマン ブラウンは森の中で眠ってしまい、魔法使の集会の狂気じみた夢を見たのだろうか?

  それが夢だと言うのなら其れでよい。悲しいかな、しかしそれはブラウン青年にとっては邪悪の前兆の夢だった。自暴自棄とは言わないが、あの恐ろしい夢の一夜から彼は人を避け又信用する事もせず、もの悲しく陰鬱に思い沈むようになった。安息日に礼拝に集まった信者が賛美歌を歌っている時、彼はそれを聞く事が出来なかった。なぜなら、罪の賛美歌が大声で彼の耳に殺到し、全ての聖なる恵みを掻き消してしまうのであった。牧師がその手に聖書をひろげ、私達の信仰の神聖な真実、聖者のような人生と勝利に満ちた死と、未来への至福それとも言語に絶した悲惨を取るのかを、信者に力強く情熱的で雄弁な説教をしている時、ブラウンは蒼白になり不敬な事を言うその老人と聴衆者の上に屋根が音を立てて落ちてこないかと恐れるのであった。フェイスの胸で眠る事にしり込みをし、しばしば真夜中に突然散歩に出かけた。家族が朝夕の祈りに跪くとき、彼は顔をしかめぶつぶつ不平を言い妻を激しくにらみ顔を背けた。彼は長生きをし、白髪頭の死体となり彼の年老いた妻フェイス、子供達や孫達、良き参列者、それに多くの隣人達に付き添われ彼の墓に運ばれた時、彼等は希望に満ちた詩を墓石に彫る事はなかった。なぜならブラウンは陰鬱の中で生き、そして暗闇の中へと死んでいったからだ。 

  

Hawthorne, Nathaniel. “Young Goodman Brown” New England Magazine. Apr 1835.  この作品はパブリックドメインです。

 

翻訳者 ウォルトンみちよ

初訳2008120

改正2008214   2011227

 

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